|
−なぜ、製菓の専門学校を進学先に選んだのですか。 |
| 本当は大学に行きたかったけれど、受験に失敗してしまいました。普通のサラリーマンにだけはなるものかと思いました。シェフもいいし、いつかは自分で喫茶店を開いてお菓子でも出して、のんびり生活できればいいなとバクゼンと考えていました。 |
| −卒業して超有名ホテル(帝国ホテル)に就職されたそうですね。 |
当時は社員2000人の約3分の1がコック服を着ていました。お菓子部門は47人だけで、いちばん多かったのがフレンチ専門の500人。上下関係のきびしいピラミッド型の組織です。菓子部門はアイスクリームの係、パイの係、バイキング形式のデザートを作る係などに細かく分かれていました。最初は仕事の大半がりんごの皮むきだけだったり、イチゴのヘタ取り、パパイア、キューイの皮むきだったり、お菓子1個を完成させる仕事はなかなか任せてもらえなかった。私がプリンを担当したときは、片手で卵を割って混ぜて・・・・・・1日に千個割りました。 |
| −同じことの繰り返しでは退屈しそうですね。 |
| 目標があれば続けられます。自分も最初はホテルのシェフを目指して、独学で英語の勉強もしていました。ただ、同じ場所で40年間働き続けてトップを目指すタイプじゃないと気づいたのです。いつかは独立して店を持ちたかった。そう思い始めたとき、ホテルを辞める2年半ぐらい前から休みの日を利用して街場のケーキ屋さんへ修行に行っていました。 |
| −超有名ホテルにいても、まだ修行が足りない? |
| 街場のケーキ屋さんはオールラウンドで、1人で何種類でも作れて面白そうでした。店ごとに微妙に作り方が違い、どう作ったのかわからない独特の魅力のあるケーキもある。それと同時に、いつの間にか1つのやり方に囚われている自分に気づき、初心に帰って勉強したくなった。でも、30歳になったらもう恥ずかしくて若い人には聞けない。外へ出るならいまだと思ったのが26歳のときで、それが私のターニングポイントでした。 |
| −超有名ホテルを飛び出して、後悔しなかったのでしょうか。 |
| 誰もが知っているホテルを辞めて安定と名声を捨てたわけだから、絶対に自分の店を出さなくてはいけないと覚悟を決めました。自分の店を開く前に1年間、街場のケーキ屋さんの新人として、自分よりも若い人に混ざって働きました。年収は100万円ダウンしました。 |
| −わずか1年間で、自分の店を出せたのですか? |
| 修行の1年間で、ケーキ作りの技術や経営のノウハウをすべて吸収してやろうと思いました。だれよりも早く出勤して厨房の設備のサイズを測ったりしたものです。独立資金としてコツコツためたお金が800万円になっていました。20代のころは、遊びに魅力を感じなかった。遊ぶのはいろいろ体験して知識を身につけてからのほうが一流のいいものを選べるし、楽しみが大きいと思ったからです。 |
| −いまや、一日平均が平日で300人、土・日は700人ほどのお客さんが来る洋菓子店のオーナーですね。成功の秘けつは? |
ここ柴又は昔の良さが残っている東京の下町なので、おばあちゃんがお孫さんを連れて来てくれるような「街のケーキ屋さん」でありたいと思って続けてきました。ケーキだけでなく、クッキーやパン、アイスクリームも、お客さんに喜んで買っていただけるものなら、何でも作ります。お菓子は、気持ちに余裕があって、ハッピーなときに食べるもの。お菓子作りは、笑顔が似合う仕事です。だから、やりがいがある。 |
| −お店はこの「ビスキュイ」1店だけですか?儲かっても多店舗展開はしない? |
ビジネスマンになりたくてやっているんじゃない。私はケーキを作るのが好き。そして、若い人を育てるのが楽しい。現在のスタッフは約45人で、ケーキを作っている子は19人、そのうち7人が女の子です。ケーキ作りは、季節や天候によって時間がとれるときがあります。その時間をどうするかが本人しだい。レシピを整理したり、外国のお菓子の本を読んだり、繊細な飴細工の練習をしたり、勉強することは山ほどありますね。 |
| −この道をめざす若い人にメッセージをください。 |
お菓子作りが好きでたまらなくて、学歴とか技術とか知識とかすべて取り去ったハダカの状態で、背中に「好き」って書いてありそうなぐらいお菓子が好きな人がいい。 それほど大好きだからこそ、少々つらくても何か結果を出せるまでは絶対にあきらめないで続けられるでしょう。
−ありがとうございました。 |