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| 広告ポスター、雑誌や書籍、商品のパッケージ、インターネットの画面構成など、視覚に訴えて人々の記憶に残る世界をつくりあげる。イラストレーター、フォトグラファー、コピーライターとの共同作業で、統一感のある構成を築いていく。テレビのコマーシャルやイベントなど、一瞬にして消えてしまうデザインも手がける。経験を積んだ後、デザインプロジェクトのまとめ役として、企画立案からスタッフの人選、お金の管理、スケジュール管理までを行うアートディレクターの道に進む人もいる。 |
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| ■Q1 プロフィール |
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浅葉克己さん
桑沢デザイン研究所 卒業
日本を代表するアートディレクターの1人。1940年、神奈川県横浜市に生まれる。桑沢デザイン研究所卒業。佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所で文字デザインを学び、日本初の広告制作専門会社であるライトパブリシティを経て、東京・青山に浅葉克己デザイン室を設立。西武百貨店の広告「おいしい生活」をはじめ、日本の広告界の歴史に残る有名なコマーシャルやポスターを数多く手がけた。子ども時代の夢は、船乗り。デザインの題材を求めて世界中を旅する。中国の奥地で「現代に生きる象形文字」の「トンパ文字」に出会い、自らの作品に生かす。少年時代から続ける卓球は趣味の域を超え、自らのチーム「東京キングコング卓球クラブ」を率いて全国大会に出場する。「ひとりピンポン外交」と称し、世界各地の卓球チャンピオンに勝負を挑む破天荒ぶりも有名だ。紙の上にとどまらず、時間と空間を超えて人生そのものを独創的にデザインする達人である。
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| ■Q1 デザインの勉強を始めたきっかけは? |
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子ども時代を横浜の金沢文庫で過ごしたせいか、以前から未知のものと出会うことが好きで、よく本を読んだ。金沢文庫は鎌倉時代の国会図書館であり、すべての情報が詰まっている知の宝庫だからね。18歳のころは港の近くにあったアメリカ文化センターによく通い、海外の前衛的なアートの世界を知った。いつか自分もスタインベルグのようなイラストレーターになり、名をあげたいという夢を描いていた。
県立神奈川工業高校でデザインを学んだ後、先輩から教えられて、レタリングの巨匠と呼ばれた東大中退の佐藤敬之輔先生のことを知った。初めて先生の研究所をたずねたときに聞いた言葉が、僕の人生を変えた。「絵は五百年しかもたないが、文字は千年もつ」。それなら、文字デザインで歴史に名を残したいと思うようになったんだ。
佐藤先生は桑沢デザイン研究所の講師もしており、僕を学校の創設者である桑澤洋子先生に紹介してくれた。自分の作品を見てもらったら、「あなたのような人に来てほしい」と言われ、1年間学んでみようと思った。
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| ■Q2 学生時代の思い出は? |
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先生が素晴らしかった。いろいろなジャンルのアートの第一人者が集まっていた。1954年には、バウハウス初代校長だった建築家・ヴァルター・グロピウスが学校に来て話をしてくれた。「桑沢がバウハウスのデザイン運動の後継者だ」と宣言したことが印象的だった。学ぶことすべてが刺激的で、視野がどんどん広がっていった。僕が在籍していた1960年には東京で世界デザイン会議が開かれ、ハーバート・バイヤーといった有名なデザイナーが大勢来日し、僕も講演を聞きに行った。
当時は学生も先生も、桑沢から新しいアートデザインの流れを起こそうというパワーにあふれていた。僕は友だちにせがまれて、放課後の教室で文字デザインを教えたものだった。 |
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| ■Q3 浅葉さんにとって、グラフィックデザインとは? |
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グラフィックデザインは、ひとつの信号だ。文字とビジュアルアートを融合させて強いメッセージを表現し、マスメディアに乗せて大量に、世界中に向けて発信される。
太古の昔から、人は誰かに何かを伝えたい生き物だったんじゃないか。象形文字に始まる文字に、グラフィックデザインの起源があると思う。 僕は自分で、地球文字探検家と名乗っている。世界中にはいま56種類の文字が残っている。その1つひとつを探求してみたい。
子どものころは船乗りになりたかった。だれも知らない秘境を訪ねるのが好きだ。中国奥地で出会った「トンパ文字」は「生きた象形文字」と言われるどこか懐かしいような文字で、いまもデザインによく使っている。
歴史の中には、未知の文字デザインが埋もれている。仕事で滞在したメルボルンで、インターネットの起源と言われる腕木通信のことを知った。ナポレオンが戦争中の通信手段として活用し、成功したらしい。シンプルな腕木の組み合わせで文字を表し、10キロごとに建てた小屋の屋根に乗せて、次々とリレー方式で戦況を伝えたという。
日本では手旗信号が発達した。「赤上げて、白下げて」の手旗だよ。僕はボーイスカウトの時代に訓練したから、いまでも使える。手旗信号も、れっきとしたグラフィックデザインだと思う。 |
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| ■Q4 この仕事のやりがいは? |
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スピード感だね。建築だったら完成するまでに何年もかかるけれど、グラフィックデザインは、数ヶ月もあればでき上がる。僕はつねに10以上の仕事を同時進行で抱えている。仕事の段取りを考えるだけで、いつの間にか時間がたってしまう。徹夜の日が続くこともある。そうじゃないと締め切りに間に合わないからね。
つらいと思ったことはない。卓球で身体を鍛えているから平気だ。スポーツで身体を鍛えているデザイナーやアーティストは多い。みんな年をとらないよ。卓球は小さい白い玉を追い続けるので、動体視力が発達し、視力が衰えない。近眼も老眼もないから、僕はメガネをかける必要がない。 |
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| ■Q5 グラフィックデザイナーは、どんな人に向いている? |
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やっぱり、才能のある人がいい。手がよく動き、感覚が鋭く、第六感のようなものが働き、上から俯瞰してものを見ることのできる人だ。
勉強するなら、まずは手がよく動くように訓練するといい。僕は若いころ、烏口で1ミリの幅に10本の線を引くことにチャレンジし、ついに22歳の春に一度だけ成功した。活字の設計をするには、それぐらいの緻密さが要求されると思ったからだ。
すばやさも要求される。君は、なんとなく聞こえてくるノイズやざわめきのようなものを視覚的に表現できるだろうか。一瞬前まで動いていたものを切り取って紙のうえに表現できるだろうか。デザインとは、精神の活動を形として表現することだと思う。
僕が師事している書家の石川九楊先生は、批評するときに「無限微動筆蝕」という言葉を使う。言ってみれば、「ビビビビっと震える」感覚だ。実際、先生の作品は小刻みに震えている。「なぜ震えているのですか」とたずねたら、「精神が震えているからだ」と、お答えになった。降参だ。 |
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| ■Q6 これからの若いデザイナーに期待することは? |
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中国はいま空前のデザインブームで、若手デザイナーがしのぎを削っている。日本の若者も負けないでほしい。
アメリカでベストセラーになったリチャード・フロリダの著書『クリエイティブ・クラスの世紀』には、これからはクリエイティブな才能をもつ人々が主役の時代だと書かれている。クリエイティブな人々が国境を越えて都市に集まり、お互いに刺激し合って新しいものを作り上げていくことがもっと当たり前になっていくだろう。映画製作もそうであるし、毎年行われる世界最大のデザインイベント「ミラノ・サローネ」における人々の熱狂ぶりを見れば、うなずける話だ。日本の若者も世界に向けて、クリエイティブなエネルギーを伝えてほしい。 |
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専門学校 桑沢デザイン研究所
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浅葉 球さん
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桑沢デザイン研究所をこの春卒業した。卒展の前に6人の仲間達と「LINE」という展覧会を開き、タイポグラフィの新書体を創った事で、ひとつの自信が出来た。4月か らライトパブリシティに入社が決まり、熱く燃えてる。 |
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