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映画監督という仕事には、資格も免許もありません。それなら、どういう人がなれるのでしょうか。映画の専門知識や撮影現場で要求される技術を学んでおけば、役に立つでしょう。それ以上に大切なのは、映画が好きで、映画作りの仕事をおもしろがれること。
でも、ほんとうのおもしろさがわかるようになるまでは、助監督としての下積みの経験も必要です。 |
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| ■プロフィール |
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山口晃二さん 日本映画学校卒業
1967年生まれ。大阪府出身。1989年、日本映画学校卒業後、テレビシリーズ「裸の大将」(第33話・第34話)で助監督として活動を開始し、その後フリーの助監督として平山秀幸監督、金子修介監督、磯村一路監督など数多くの監督に師事する。2001年よりインターネット配信用のショートムービーや深夜ドラマなどを手がけ、映画「ベルナのしっぽ」で劇場用映画デビュー。
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| ■Q1 現在の仕事を教えてください。 |
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映画監督としての第1作である「ベルナのしっぽ」が06年9月末に公開されました。白石美帆さんが演じる全盲女性と盲導犬の感動の物語……というのは宣伝文句で、僕は単なる「お涙ちょうだい」の物語にしたくなかった。原作は実話です。主人公の女性は気の強い面もあり、意地悪な隣の奥さんに言い返すシーンも描きました。笑って、泣いて、考えさせられて、ごちゃまぜの玉手箱みたいなところが、映画本来の魅力だと思います。
テレビドラマは、マンガを実写化したストリート・ファイトものの「ホーリーランド」など、何作か手がけています。助監督としての活動は長く約18年間続けています。「学校の怪談」は、第1作からパート3までかかわりました。
フリーランスだから、仕事が来ないときもあります。1作目が撮れたのは、運かもしれない。僕らのように助監督から上がってくる監督ばかりでなく、CMのディレクターや有名俳優が映画を撮ることもあり、競争の激しい世界です。僕はどんな素材でも、見る人の期待を裏切らない映画にする自信はあります。2作目以降に続くかどうかが勝負ですね。 |
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| ■Q2
映画監督になろうと思ったきっかけは? |
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大学進学には、まったく魅力を感じなかった。大学に行くなら働くほうがマシだ、それなら映画の仕事がいいと漠然と思ったのです。
生まれ育った大阪の岸和田には映画館が5つか6つあり、子ども時代、怪獣映画やマンガ映画に連れて行ってもらいました。それはイベントとしての思い出であって、本当の映画の魅力を知るきっかけになったのは、オードリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」です。たまたま母親がテレビをつけていたので何気なく僕も見たら、どんどんストーリーの中に引き込まれていきました。作品の力ですね。それから、意識して映画をたくさん見るようになりました。
映画雑誌で日本映画学校の募集を見つけ、願書を出しました。もしも受験に落ちたら、映画館の「もぎり」のバイトでもいいから、とにかく映画に関係のある仕事をするつもりでした。 |
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| ■Q3
映画監督になるには、どんな勉強が必要ですか? |
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言ってみれば、現場が第2の学校ですね。最初のうちは、先輩に叱られて覚えることばかりでした。大勢のスタッフや役者さんが見ている前で「そんなことも知らないのか!」と、ののしられる毎日でした。反省して、家に帰って学生時代のノートを開いてみると、「なぁんだ、ちゃんと学校で習っているじゃないか」ということがよくありました。
別の意味で、学校で学んだ3年間は有意義でした。「映画好き」という共通項をもつ人間と山ほど知り合えたことが、僕の人生にとってはデカイ。映画もテレビも、作品ごとにスタッフが全員入れ替わりますが、その半分以上が日本映画学校の卒業生ということも、よくあります。
この世界は、人と人のつながりが大切です。人づてに僕の名前と評判が伝わり、ある日あるときだれかが僕のことを思い出して電話をかけてきて、「この仕事、やる?」で、すべてが始まる。「つながり」の大切さがわかっている人だけが、フリーの仕事を続けていけるのでしょう。 |
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| ■Q4
この仕事の魅力とやりがいは? |
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駆け出しのころは、大ベテランの先輩にどなられてばかりで、仕事のおもしろさをつかみきれませんでした。それでも、5年間は我慢して続けようと思いました。20代のうちなら転職がききますから。
意識が変わったのは、20代半ばで「学校の怪談」の助監督をしたとき。子どもたちが主人公の映画で、僕が「子ども担当」としてオーディションの段取りもすれば、リハーサルで演技指導し、本番で監督からダメ出しがあれば直し、すべての世話をしました。僕が「いいですよ」と言わない限り、現場が回らない――僕が現場から必要とされていることに気づきました。それまではただ、大勢の中で流されている役割でした。
監督になるまでの道のりは、決して楽しいことばかりではありませんでしたが、監督になって初めて「用意、スタート!」の声をかけた瞬間の恍惚感が、忘れられません。これは、経験した者でなければわからないでしょう。
監督として映画を撮り続け、気がついたら棺桶の中で寝ていた――そんな人生ならいいなあと思います。 |
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| ■Q5
映画の仕事をめざす人に、ひとこと。 |
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いろんなことをおもしろがれる人のほうが、絶対に得ですね。映画を作るには、調べることが山のようにあります。たとえば、どんな映画にも警察か病院のシーンは必ずと言っていいほど出て来ます。病院なら、台本に書かれている病名や症状が本当に正しいかどうかを医療関係者に聞いて確かめ、背景や道具も正確に描かなければなりません。
忙しいときに電話をして断られることが多いけれど、中には「映画にするの?」と、興味をもって協力してくくださる人もいて、ありがたいですね。普通なら入れない場所に入れてもらったり、普通は会えない人に会わせてもらったり、貴重な体験ができることも多々あります。そういうことも含めて、仕事の1つひとつをおもしろがれるかどうかですね。
最近では、女性のスタッフも珍しくなくなってきました。助監督も、監督もいるし、撮影や録音などの技師チームにも、1人か2人は必ず女性がいます。もはや、男女差を意識するのはナンセンスですね。 |
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| 日本映画学校 |
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| 写真提供:「ベルナのしっぽ」で主演の白石美帆さんに演技指導する山口監督 |

中易まつり
(なかやす まつり)
映像科2年撮影・照明コース |
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映画制作実習が中心の毎日。撮影中はとても辛い。撮ったものを観るのも恐い。だけど出来上がった時の充実感はいい。結果に全てあらわれるので、やる気のある人は、一から学べ個性も磨けるのでいい環境だと思います。 |
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